法事

 1週間前、叔母のさんの葬儀に参列したばかりだが、昨日は母の7回忌法要。帰省し、兄弟いとこが出会った。

 時間を気にしながら数回目を覚まし、何とか早朝4時に起床し、子供たちを起こし車に乗り込み出発。少し激しい雨なのでスピードも出せずこのまま雨が続くようなら時間までに間に合わないかなと思いつつ運転を続ける。山中を越える頃になるとやがて小雨に変わり、早朝の弱い光の中で白い靄が山稜線を深く侵略しながら、木々の梢に流れ込み森の深さを映し出した様が美しく、一幅の水墨画を見るような風景の中で絵への興味を断ち切れないもどかしさを感じながら運転していくうちに、雨はほとんどあがり思った以上に早く家に着いた。

 初めて会った2歳の又甥もやってきた。5歳の又甥も久しぶりに会うと大きくなったなあと思う。どちらも孫のようなものだ。可愛いものだ。責任がないから可愛いというのは将に孫の感覚だろう。余計なことだが、年に1回会うかどうか判らない遠い親戚を含めた子供たちを見るとき、これでいいのかな?と思うときがある。それぞれの家族の考え方によって、子供たちの育ち方が変わってくる。そして社会全般に言えることだが、今は経済という化け物と考え違いの学校教育というものの中で成長がゆがめられても来ている。消費経済の中で児童時からファッション、化粧のおもちゃやPCソフトを売りまくりで遊ばせ、それに対してのセンスは良くなるだろうがそれだけ内面への成長の興味は薄くなるだろう。ゲームも又同じだ。細かい事ではあるが、人として見逃しに出来ない行動に気が付き、それをしかる親が少なくなった。あまりのも些細なことだから言うのもはばかられ、まあ子供だから仕方ないかと思い、言うことを躊躇してしまうのだろう。

 帰省した直後携帯が鳴り、一昨年亡くなられた美術の恩師、有馬先生の奥様から、今ちょうど帰省しているので、放置してあるアトリエを見に来ないかとの連絡。思いがけない偶然なので、法要終了後出かけて行った。高校、大学時代2-3度お邪魔したお宅は、2-30年近く見る者もなく、もはや荒れ果てて、慌ただしく上京したままになっている。もはや帰ることの無い主を待ち、打ち散らかされたままになっていた。入り口の、お酒を頂いた和室は奥様がお帰りなったときに使用されるため、当時のままで、あの頃を思い出し感慨深い思いだった。

 帰りはお酒が入っているので数年ぶりの妻の運転。生憎の凄まじい豪雨でどうなることかと思いながら運転を任す。玉野に近づくにつれこのままの降りなら我が家は水浸しではないかとの危惧も消えほっと一安心。10時前に着いたときに雨はほとんどなかった。僕の人生はこのように何とかなってきた。それはたいてい人の力によるところが大きいが多少の運も有るのだろう。

 僕は長男なので、母の僕への期待はかなり大きいものであったのだろう。それだけ帰省しない僕への落胆は大きかったのだろう。今でも申し訳なく思いながら、いまだに決断が出来ない自分にいらだち、それ故、人生が上手く巡らないもどかしさに息苦しさを感じている。僕の人生はいくら長くても後2-30年。遅まきながら、やっと回り始め、不自由ながらもやっとなんとか動き出せたこの環境を、全て捨て去って自分はどう生きれば良いのかと思いつつ、自分に責められながらも、またそのうちなんとかなるだろうとうやむやにし、考えないようにしている力のない自分に腹が立つ。でも判っていても僕の好きな言葉でまた居直って生きるしかない。ケセラセラ!(笑)そしてまた感謝